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召公セキ[しょうこうせき]
召公 奭(しょうこうせき)は、周朝の政治家。姓は姫〔『史記』燕世家では周王朝と同姓の「姫姓」としているが、殷墟から発掘された『卜辞』および『史記索隠』が引く『竹書紀年』よれば、姓は姞姓である。考古学上、異姓諸侯であったことが判明していること、南燕国も姞姓であることから、現在では『竹書紀年』が正しいと考えられている。〕、諱は奭。太公望や周公旦と並び、周建国の功臣の一人である。 ==略伝== 燕の始祖。周の武王と同姓の一族とされる。召の地(現在の陝西省岐山県西南)を食邑としたことから召公、周召公、召康公または召伯とよばれる。武王の殷朝打倒を補佐し、その功積により燕(現在の河北省北部)に封じられ、都城を薊(現在の北京)と定めた。燕には長子の克を赴任させ、 自らは鎬京(現在の陝西省西安市)に留まった。 召公奭は周初に最も長く活躍した政治家で、文王、武王、成王、康王の四代に仕えた。 周の成王の時、三公に列し、太保となった。周公旦と殷の支配域を陝邑(現在の河南省三門峡市陝州区(旧陝県)一帯)で二分して、陝東を周公旦の管理とし、陝西を召公奭の管理とした。
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